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めっちゃ留年してる大学生のブログ

日記20191010:大学八年生、登校する

 

スプラトゥーンをやったり5chを見たりしていたら朝になっていた。

 

今日は木曜日であり、午後には研究室のゼミがある。基本的に大学には毎日行くべきなのだが、今日はゼミがあるので特に行かなければならない日ということになる。

 

が、そのこととはあまり関係なく、今日は大学に行こうという気分になったのでそうすることにした。理由があるとすれば、家でやることに退屈していたとか、特に眠くはなかったとか、それくらいのものである。

 

もしも時間を昨日まで巻き戻して再び今日の朝を迎えたとしたら、その時はひどく何もしたくないというめんどうくささに苛まれたり、猛烈な眠気に襲われたりしているかもしれない。そうなっていたら、きっと大学には行かないだろうし、罪悪感と無力感に打ちひしがれながらもゼミをサボるだろう。

 

Q.今日はなぜ大学に行ったのか?

A.気が向いたから。

 

ほんとうに、それだけなのである。

気分に流されるだけの毎日。今すぐ自分の力でどうこう変えられそうには思えない。変えられないまま、大学8年目の秋を迎えてしまった。

 

茶店でモーニングを食べ、並木道を歩いて大学に向かう。朝日、涼しい風、いい気分。世界は素晴らしい、みたいな陳腐なワードがよぎる。外に出てよかったと思う。

 

でも、この喜びを味わいたいという気持ちは明日の朝にはリセットされることを知っている。家の外でどんな喜ばしい体験をしても、次の日の朝の気分は半分以上の確率で「動きたくない」「めんどうくさい」になってしまうことを知っている。喜ばしい気分はそれだけでは怠惰な自分を動かすにはあまりにも無力だ。

 

『シャワーを浴びて後悔する人はいない』という意味の言葉をよく目にするけれど、あの言葉が持つ人を動かす力は限りなくゼロだと思う。シャワーを浴びてスッキリするという経験を10000回積み重ねても、10001回目のシャワーはやはりそれまでと等しくめんどうくさいはずだ。毎日シャワーを浴びること、毎日歯を磨くこと、毎日大学に行くこと、毎日働くこと。それらを気分に左右されずに続けることができる人間になりたいと思う。やる人間とやらない人間を分けるものは、究極的には何なのだろうか?

 

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大学に着く。先生が出張なので今日はゼミは無いと聞かされる。スケジュールちゃんとチェックしてなかった……

 

Tweetdeckを漫然と眺めたり、ゼミ発表用の論文を読んだり、昼寝をしたり、スプラトゥーンの攻略情報を調べたりしているうちに夜になったので帰る。相変わらず、何もしないよりはマシ、程度の進捗しか得られない。ネット環境下で作業をするのは難しい。

 

明日は金曜日。ゼミも授業もないし、何より天気も悪いので、無理に大学に行かなくてもいいかという気分にすでになってしまっている。とりあえず、朝しっかり目を覚まして生活リズムをキープすることを最低限の目標にしようと思う。