理想的なスピードで

めっちゃ留年してる大学生のブログ

近況20201115:自由と管理

 

今年の春に八年にわたって在籍していた大学をどうにか卒業し、神戸にある実家に戻り、社会人を始めた。

 

限りなく自由な一人暮らし大学生から、比較的不自由な実家暮らし社会人へと移行してみて今更ながら確信したのは、

「俺には自由は向いていない。自由はストレスだ。管理されないと死ぬ」

ということである。

 

学生時代は生活リズムが乱れる、飯を食うのが面倒、動きたくない部屋から出たくない何もしたくない、睡眠障害便秘云々みたいなことを無限に喚いていた。

今は平日は朝6時過ぎに起き、きっちり三食食べ、会社に行って仕事のようなことをし、少ない自由時間にはスプラトゥーンをやり、23時過ぎには布団に入っている。

24時間の大部分が外的な力によって強制され(特に朝起きる時間が固定されていることが大きい)、生活リズムの維持が容易になった。

結果、睡眠はパーフェクトではないにせよ改善され、ついでに長年苦しめられてきた便秘も治ってしまった。

この歳になっても家に住ませてくれる親に感謝、仕事があることに感謝である。

自由時間少ない、ゲームもっとやりたいとかは思うけど、学生時代よりゲーム遊ぶ時間はむしろ増えていると思う(完全に自由だと何のやる気も出なくなってしまうので)。

 

とはいえ、会社はともかくいつまでも実家のお世話になるわけにもいかないし、管理されないと生きていないという状態をそのままにしておくのもムカつくので、自由に適応するための訓練はあらためて積んでいく必要があるなあと感じている。

実際に自由を目指すかどうかはさておき、「俺は管理されなくても生きてけるんだぞ!」と言えるようにはなりたい。

現状、何の強制もない土日は学生時代と変わらないレベルでダラけて引きこもっているので、週末の予定を何かしら組んで毎回実行する、みたいな心がけをやっていこうと思う。

 

その他細かいこと

・仕事:概ねつまらない。電話メール議事録コピースキャンみたいなクソ作業が大半。勉強も就活も研究も常人の100倍サボり倒してきたのでので仕方ないのだが……。最近残業増えてきてしんどい。金が貯まるのは精神衛生上よい。

・読書:全然できてない。読書記事もあっさりとん挫してまった。活字を読む力が日に日に落ちていっている気がする。

スプラトゥーン:波はあれど半年くらい飽きずに続けられてていい感じ。ガチマッチ全ルールS+2くらいまでは行きたい。

・ぼちぼち新しい人間関係作っていきたいけれどコロナ禍もあって尻込みしがち

 

ひとまずは、管理されながらでも生きていけていることをよしとしよう。

 

 

 

 

読書メモ:『文明が衰亡するとき』

 

文明が衰亡するとき (新潮選書)

文明が衰亡するとき (新潮選書)

  • 作者:高坂 正堯
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

・本書は三部構成になっており、それぞれローマ帝国ヴェネツィア、現代アメリカ(執筆当時は1981年)を取り扱っているが、第二部が特に面白かった。ヴェネツィア共和国は十三世紀から十六世紀にかけて繁栄したが、その間にいくつもの危機に立ち向かい、浮沈を繰り返した。通商国家としての自由な精神と変化への対応力は、生活水準の向上と度重なる危機への対応の中で徐々に失われていく。若者の少子化・未婚化が進んだり、肉体労働である舟の漕ぎ手が自由人から奴隷へと変化していったという話は、同じく通商国家であり島国である現代日本と重なるところがある。十七世紀以降の衰亡について「ヴェネツィア人たちは疲れてしまった(p.172)」とする著者の表現は、文明衰亡の必然性が感じられて印象深い。日本人は働きすぎて疲れてしまったのだろうか?

 

・著者は衰亡論について、単に原因と結果に着目するのではなく、「衰亡に対する態度、あるいは古典的な知恵というべきもの(p.90)」を学ぶべきだとしている。成功に対して謙虚であれ、衰亡の運命に対して悲観的になりすぎるなetc、言うなればバランス感覚のようなものだろうか。本書が書かれた当時は日本の経済はまさに伸び盛り、怖いもの知らずであり、自国の文明を謙虚さを持って見つめなおす必要性を感じていたのだと思われる。翻って今の日本はすっかり停滞してしまっているけれども、ローマ帝国にせよヴェネツィアにせよ、一直線に衰亡していったわけではない。悲観的になりすぎず、柔軟に変化に対応していく必要があるのだろう。

読書メモ:『結婚と家族のこれから』

 結婚や恋愛にどう向き合おうか、あるいはそういった関係性から自由な生き方はできるのだろうか……みたいなことをぼんやり考えていたので、第五章の「親密性(家族、友人関係、恋愛関係、同性などを含む広い概念)」に関する話が特に興味深かった。僕は基本的には「『脱カップル化』の親密性」を志向しているのだけれど、今いる友人たちと関係は、彼らの地理的な移動や結婚によって、断ち切られないまでも弱まってしまう。新しい長期的な人間関係(恋愛であれ友人であれ)を絶えず作り続けるくらいの気構えでいたほうがいいのかもしれない。

 また、長期的な人間関係における親密性の特徴として『特別扱い』と『パーソナルさ』が挙げられていて、漫画『ヴィンランド・サガ』や『愛すべき女たち』にも似たような考え方のキャラクターが登場していたなあ、と思い出した。愛とは差別なのだ。

 

 

その他、気になったポイント

・育児や介護といったケア労働は、コストを下げるのが困難である(サービスの受け手に対するパーソナルな対応が必要、サービスの提供者はサービスを提供する場所に「いる」必要がある、技術が発展しても労働量があまり減らないetc)。共働き社会においてケア・サービスを十分に提供するためには、アメリカのように国内外の所得格差を利用した民間サービスに頼るか、北欧社会のように税負担を高くして公的雇用を増やすか、二つの方向性が考えられる。

 

・共働き社会においては、男性でも女性でもより稼ぎのある相手と結婚するのが合理的となるため、同類婚の傾向が強化され、片働き社会と比べて世帯間の所得格差が拡大する。

 

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

  • 作者:筒井 淳也
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/06/16
  • メディア: 新書
 

 

物事を継続するために必要なこと―読書メモ:『読書会入門 人が本で交わる場所』

 本を学びに繋げるためには、インプット(本から情報や知識を得ること)とアウトプット(得たものを自分なりに咀嚼し,他者に向けて発信すること)の両方が必要。著者が読書会を開くようになったのは、「インプットの期限」「アウトプットの場」「仲間同士によるゆるい相互監視の状況」を設定することで、学ぶ手段としての読書を継続できる仕組みをつくりたかったから、とのことである。

『楽しめるようになるまではそれなりの辛抱が不可欠』(p97)という部分にもつながるけれど、読書に限らず何の束縛もない環境において自分の意志で始めた活動(趣味とか勉強とかスポーツとか)を継続するのって本当に難しい。何かの活動に本腰を入れようと思ったときは、それを続けざるを得ないような環境や仕組みを整備することをまず意識するようにしたい。

 

 ただ、読書会というシステム自体は自分に向いていなさそうだなと感じている。

例えば著者が開催している読書会は「月に一回、課題本を読んできて、それについて語り合う」というものだが、出される課題本が自分にとって興味の惹かれるものばかりとも限らないし、継続して参加するのは難しいだろうな、と思う。興味がある本ですら読み切るのが苦手で積みがちなので、興味の持てない課題本を期限までに読了するというにはいくら辛抱といえども自分にとってはキャパオーバーである。以前一度だけ読書会に参加する機会があったのだが、課題本が難解かつ興味の持てないものだったので、極めて退屈だった。自分で主催するにしても、どういうやり方なら継続できてかつ人が集められるか、というのは現時点ではちょっと考えつかない。

 

 対話の場としての読書会には魅力を感じるけれど、アウトプット手段として継続的に取り組める可能性があるのは、とりあえずはこうしてブログ書くことなのかなあ、と思う。現状は気が向いた時に書いてるだけだけど、仲間内で「月に1or2回読書記事を書く」みたいな協定結んでやっていくとかできたらよさそう(ゆるぼ)。

 

読書会入門 人が本で交わる場所 (幻冬舎新書)

読書会入門 人が本で交わる場所 (幻冬舎新書)

 

 

マンガ感想メモ:『星明かりグラフィクス』

 

星明かりグラフィクス 1 (ハルタコミックス)

星明かりグラフィクス 1 (ハルタコミックス)

 

 

 

星明かりグラフィクス 2 (ハルタコミックス)

星明かりグラフィクス 2 (ハルタコミックス)

 

 

 

星明かりグラフィクス 3 (ハルタコミックス)

星明かりグラフィクス 3 (ハルタコミックス)

 

 

 

美大青春モノ。恋愛要素なし。美大あるある、潔癖症あるある、学祭展示でバトル、社会にに出る前の葛藤、などなど。

・打算と依存から始まった吉持と明里の関係が、「チームほしあかり」としての活動を経てまっとうな友情へと昇華していくのがよかった。恋愛であれ友情であれ、どのように始まるかよりも、その後の関わりの積み重ねが大事なのだと思う。

・自分を客観的に評価するのは難しい。

・二巻の学祭編が特に好き。前夜祭を楽しむパリピと楽しめない根暗、ミスコン立候補者のヤンキー、音のバランスが崩壊してるバンド、アルサさんのコスプレ。

 

日記20191011:台風前日、クズ学生にとっての休日とは

 

午前二時ごろ目覚める。睡眠時間三時間ぐらいだが、もう一度寝ようとしてもうまくいかず、朝まで起きておくことにする。睡眠のコントロールは難しい。

 

しばらくスプラトゥーンをする。ハマりすぎない限りにおいては、寝起きにテレビゲームをするというのはいい習慣かもしれない。布団から身体を起こしてモニターの前に座り、対戦に没頭する。ぼーっとしていた頭が活動し始める。飽きてきたら、家にいても退屈だし外出るか、という気分にもなる(かもしれない)。横になったままスマホを眺めているうちに二度寝三度寝してしまうよりよっぽどマシなのは間違いない。

 

スーパーが開く時間になったので、明日の台風に備えて食料等の買い出しに向かう。平日朝なのにものすごい混雑。一人あたりの購入量が多いのと相まってレジの列が全然進まない。非日常感に高揚する一方で、『周囲の風潮に流されやすい一般的な日本人の見本』の一員になってしまったなあ、みたいな敗北感もある。周りより一歩先に動きはじめたり、普段からしかるべき準備をしておくなどして、この手の現象を高みの見物できるようにしたいものだ、と下衆な反省をする。

 

買い出しを終えて家に戻る。まだ天気もさほど荒れておらず、気分も向いたので研究室に行くことにする。研究室では昨日以上に作業が捗らない。睡眠不足のツケが回って二度も昼寝をしてしまう。まあ仕方ない、今日は来れただけでもマシと思うことにする。週明けもちゃんと行けるように整えていこうと思う。

 

***

 

明日は台風なので家から一歩も出ずに過ごす。パーフェクト・ホリデイ。気分は楽園である。

 

そもそも普段から引きこもってばかりいるのだけれど、『外に行かなければ、なすべきことをしなければ』とウジウジながら動かずにいるのと、『明日は台風だ。家から出てはいけないんだ』という神のお告げに従って引きこもるのとでは、精神的な負荷において雲泥の差がある。

 

本来大学に行く必要のない通常の土日などは、普段が怠惰すぎる反動から、『俺のようなサボってばかりいる人間に休息を享受する資格はないよなあ』みたいに感じてしまい、いまいち開放的な気分になることができない。大学閉鎖とか、台風大雨洪水のような、自分に対して言い訳がきくような休みでないと心から休むのは難しい。開き直れないクズなのである。

 

台風が毎週末きてくれたら心置きなく休めるのになあ、と不謹慎なことを考えずにはいられない。

 

 

 

 

日記20191010:大学八年生、登校する

 

スプラトゥーンをやったり5chを見たりしていたら朝になっていた。

 

今日は木曜日であり、午後には研究室のゼミがある。基本的に大学には毎日行くべきなのだが、今日はゼミがあるので特に行かなければならない日ということになる。

 

が、そのこととはあまり関係なく、今日は大学に行こうという気分になったのでそうすることにした。理由があるとすれば、家でやることに退屈していたとか、特に眠くはなかったとか、それくらいのものである。

 

もしも時間を昨日まで巻き戻して再び今日の朝を迎えたとしたら、その時はひどく何もしたくないというめんどうくささに苛まれたり、猛烈な眠気に襲われたりしているかもしれない。そうなっていたら、きっと大学には行かないだろうし、罪悪感と無力感に打ちひしがれながらもゼミをサボるだろう。

 

Q.今日はなぜ大学に行ったのか?

A.気が向いたから。

 

ほんとうに、それだけなのである。

気分に流されるだけの毎日。今すぐ自分の力でどうこう変えられそうには思えない。変えられないまま、大学8年目の秋を迎えてしまった。

 

茶店でモーニングを食べ、並木道を歩いて大学に向かう。朝日、涼しい風、いい気分。世界は素晴らしい、みたいな陳腐なワードがよぎる。外に出てよかったと思う。

 

でも、この喜びを味わいたいという気持ちは明日の朝にはリセットされることを知っている。家の外でどんな喜ばしい体験をしても、次の日の朝の気分は半分以上の確率で「動きたくない」「めんどうくさい」になってしまうことを知っている。喜ばしい気分はそれだけでは怠惰な自分を動かすにはあまりにも無力だ。

 

『シャワーを浴びて後悔する人はいない』という意味の言葉をよく目にするけれど、あの言葉が持つ人を動かす力は限りなくゼロだと思う。シャワーを浴びてスッキリするという経験を10000回積み重ねても、10001回目のシャワーはやはりそれまでと等しくめんどうくさいはずだ。毎日シャワーを浴びること、毎日歯を磨くこと、毎日大学に行くこと、毎日働くこと。それらを気分に左右されずに続けることができる人間になりたいと思う。やる人間とやらない人間を分けるものは、究極的には何なのだろうか?

 

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大学に着く。先生が出張なので今日はゼミは無いと聞かされる。スケジュールちゃんとチェックしてなかった……

 

Tweetdeckを漫然と眺めたり、ゼミ発表用の論文を読んだり、昼寝をしたり、スプラトゥーンの攻略情報を調べたりしているうちに夜になったので帰る。相変わらず、何もしないよりはマシ、程度の進捗しか得られない。ネット環境下で作業をするのは難しい。

 

明日は金曜日。ゼミも授業もないし、何より天気も悪いので、無理に大学に行かなくてもいいかという気分にすでになってしまっている。とりあえず、朝しっかり目を覚まして生活リズムをキープすることを最低限の目標にしようと思う。