理想的なスピードで

めっちゃ留年してる大学生のブログ

近況とか考え事

今年進級できないと在学年数超過による除籍が確定するわけだが、危機感や焦りにかられて生活を律するようになる、みたいなことは現状全く起きていない。概ね予想できていたことではあるけれど。今までできなかったことが急にできるようになるための根拠みたいなものが自分の中にあれば変わったのかもしれないが、結局何もできないまま新学期を迎えてしまった。

 

そういうわけで、相も変わらず漫然と引きこもるだけのクソみたいな日々が続いている。大学の授業は週3であるのだけれど、ここ2週間は週1回しか出ていない。授業に出ずに何をしているのか?何もしていないのである。もう何年も大半の時間を引きこもって何もせずにすごすだけの生活が続いている。動きたくない、何をするのも面倒くさいという気持ちに支配されながら布団の中でスマホポチポチ、そんな毎日。

 

そりゃあ大学卒業したいとは思っているし、卒業できなかったあかつきにはただでさえ終わってる自分の人生はますますオワオワリとなってしまうであろうことも分かっているつもりである。しかし、このような認識を持ったところで、特に自分の行動がいい方向に変化するというわけでもない。まだまだ危機感が足りないということなのだろうか。そもそも危機感って何だろうな、とか考える。それは自然発生的に生じるものなのか、能動的に抱くべき感情なのか?

 

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2X歳にもなって、未だに自力で人間的な生活を送る力がない。金銭的のみならず、精神的にも。世の中の人々は毎日朝起きて三食食べて夜に寝ていてすごいなぁと思う。そういうまっとうな生活を維持できる力があれば、俺にも人並み程度には仕事なり勉強なりできるのではないか、という気はする。なぜ世の中の人々は自律する術を心得ていて、自分はそれを学び損ねてしまったのだろうか?

 

自分に自由そのものが向いていないのだろうか、と思うことがある。そもそも自由というのは向き不向きで考えるべき概念なのだろうか?一般的に、自由を享受出来るのは良いことだと認識されているように思う。1人暮らし大学生という自由な身分を楽しめない、誰かに管理されないと生きていけそうもない自分はやはり未熟な人間なのだろうか?それとも単に自由に向いてないというのは資質の問題に過ぎないのだろうか?

 

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 色々考え事を文章にしてみたものの、最終的には自分では答えの出せない疑問に行き着くわけで、モヤモヤはモヤモヤのままだなぁ、と感じる。

明日は大学はないけれど、朝起きてご飯を食べて、筋トレに行くくらいのことはしたいなぁ、と思っている……明日の朝起きたとき、脳が面倒くささと動きたくなさに支配されていなければ。